もっと声を出せ

よその地区に行って聞いてみた、災害公営住宅のことです、意外と被災者たちは良く分からない様である。防災集団移転の事は少し分かる様でが、公営住宅に入居する人は考えていないようです,ほかの人まで考える余裕がないのか疑問です、元の地域にいたい、住みたいと思うのは誰でも同じだと思う、長洞が特別なのか、いや違うと思う、もっと声を出そう、市役所がやるから黙って居た方が良いと言う声が良く聞く、まだ間に合う、今からでも間に合う,出来て終わりじゃない,入居して終わりじゃない.そこからスタートするんだよ,被災者はみんな元の地区に戻りたい思っている、地区、地区に公営住宅を

 

 

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私の被災体験

3月11日朝5時頃、仕事(建築板金業)に行く前に趣味のかご漁に行ってくるのが私の日課、その日も、いつもの様に漁に出ると、5キロ位のタコ1枚がかかっていた。7時頃、漁から帰ったが、その日は税金の申告で妻は高田に行かなければならない為、忙しい様である。タコはそのまま工場の脇に置いたままにして置く、(妻が帰ってきたら考えるだろう)10時頃仕事が空いたので床屋に行った、戻って午後2時過ぎである、工場で仕事の際中に地鳴りと共に揺れ始めた、またかと思いながら居ると、ちょっと大きい。震度5震度6は経験しているが、いつもと違う,少し長い、やっと治まったらまた来た気持ち悪い揺れである,とうとう来たか。そんな思いであった、すぐ側でゲイトボールをしていた10人程の人達も危機を感じて蜘蛛の子散らす様に退散していった、隣の義男の家族も、その辺の人達も集まってくる、今度は完全に津波が来るな~。避難始める。消防団がサイレンを鳴らしながら避難指示を出している、大津波警報です、地震から10分位だろう、高台に海の様子を見ながら避難を始める,家に居た両親を連れていつもの高台に向かう、私の周りの人達の避難場所は自宅後ろの海抜20m位の高台です。20人位集まってきた。20分位だと思うが海の海面が動き始める.来た。思ったほど水が引かない?二日前にも津波が来た。1m位だったから油断があった。津波が来た朝、明日も使う予定なので一番下に引いてあった船。、一番最初にその私の船が津波で二つに折れた、止まらない、海岸の船が全部流される、ものすごい勢いである、堤防を越えてきた。あっと言う間である。目の前の田んぼが満杯になる、堤防は6m位ある、下にある私の工場、義男の作業場等が流されて下のほうに来た、その直ぐ後だと思う。2波が来た2倍くらい高い、ものすごい勢いである,電柱が折れて・すごい音で折れる、私の本宅が流された,隣も流されていく、ただ呆然と見ているだけ、聞こえるのは悲鳴だけである、次回

 

 

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笑顔の芋煮会

元気村の昼食は、(株)東亜リース様による芋の子汁。おにぎり。焼き芋。の芋煮会でした。赤ちゃんからお年寄りまで、皆さん笑顔で美味しくごちそうになりました。 芋の子汁は。みそ味。醤油味と、とても美味しくて皆さんおかわりしていました。 社長様はじめ大勢のスタッフの皆様,有り難う御座いました。

 

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